ラオスの学校校舎が新しく綺麗になっても、障がい児は通学できていないことが多い。
小さい時は親や兄弟に構ってもらいながら過ごすこともできるでしょう。
兄弟が学校に通いはじめ、卒業し、仕事をはじめて・・・
同時に親は老いていきます。
ラオスは家族や親戚のつながりが強い国ですから、ある程度親戚間で面倒は見てもらえると思われますが、それでも障がい当事者が得る社会参加の機会は極端に少ないです。
日本のように障がい者手帳など福祉の仕組みはありません。
日中に通うことができる施設や学校もほとんどない・・・
彼らの社会性はどこで育つのでしょうか。
障がい者年金も、障がい者雇用枠もない・・・
彼らが自立する機会は失われています。
ラオスの女性障がい者センターにニーズ調査に通って、建物の支援や食糧支援などを実施しながら、当事者と様々な話をしました。
センターに所属する女性たち。ポリオで足が動かなくなった人が多かったです。センターに支援することもありましたが、自力で家を建てたい女性に個別に支援を実施したことも。
必要な支援と判断し実施しただけなのですが、支援を受けた女性は泣いて、泣いて、泣いて、泣き止んでくれません。
日常でいかに当事者が振り向いてもらえないか、目に止めてもらえないか、私たちが想像している以上に孤独なのだと実感した出来事でした。
ここで1人の女性に出逢います。
自身も足に障がいがありながら、生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこして、ボランティアでこのセンターを手伝いに来ていました。
足に障がいはありますが、運転もするし活動的な彼女。
「もっと当事者を直に支える施設を作りたい」
「障がいがあっても自立して暮らせる施設にしたい」
彼女の願いを受け、2017年に小さな作業所を開くことになりました。
小さな部屋を間借りして作業場に
私たちSupport for Woman’s Happinessは小さな団体なので、たくさんの障がい当事者を受け入れることは難しい。
女性リーダーとラオス人のNUIさん、それから私と3名で話し合いをし、カナダ系の教会の建物に部屋を借りることにしました。
5名くらいなら受け入れできるかな?ということで少人数スタート。
ミシンは足踏み。
ラオスや日本から小さな仕事をいくつかもらってきて、教えながら作る。の繰り返しでした。
ラオスの人々は目がよく手先が器用なので、上手になるスピードはとても早いですね。
5人なら・・・と言っていた受け入れ人数も気がついたら10名をこえていて、これ以上は部屋に入りきれません。
仕方なく(?)2018年に平屋の大きなお家を借り上げて、みんなで暮らしながら働ける作業所になりました。
初期の頃の作業所の柱は2つ。
・ラオスの民族女性たちが織った生地・刺繍した生地を使って質の良いお土産品づくりをする
・日本や欧米諸国からオーダーをもらってきて、小さな工場として稼働する(新しい技術の訓練にする)
この2つを充実させるべく、いろんなものづくりを教えました。
いずれ製品の企画・製造・販売・流通も彼ら自身で担当できるようになってほしいですね。
ものづくりができるようになって、卸先に買ってもらったり、お土産品店で販売したりすると、作った分だけ・売れた分だけ 収入が入るようになります。
これまで家族に頼らないと暮らして来れなかった人たちが
自分で収入を得るようになる。
働いたお金で家族に仕送りしたり、ほしいものを買ったり、お祭りにいったり。
自分で選べるようになる
自分で決めるようになる
彼らの人としての尊厳が守られ
精神的に大きく成長した瞬間でした。